MBA留学日記 University of Colorado at Boulderとその後
MBA留学日記。2006年7月からの2年間の学生生活とその後の東京生活。個人的なブログであり、公式なものではございません。
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壮行会

ここ2週間は壮行会・送別会ラッシュです☆
本当にみんなの貴重な時間を頂いて、杯を酌み交わしてきました。
2日は関連会社の方々と一緒に(次の日はゴルフなのに…)遅くまでお付き合い頂きました。この関連会社の社長交代が決まっており、現社長の送別会に混ぜて頂いたのですが、この場でも一緒に仕事をしてきたみなさんに「なぜ、こいつがやめなきゃいけないんだ!」と言ってもらえたのは嬉しいですね☆、正直。でも、やっぱりお別れというのは辛いものですね。


5日は大手商社の担当者と弊社の若手担当者2名との4名で。赤坂で熱い話をしてました。30歳近辺、人生を考えるとき。我々は自分の理想を実現する、そう進んでいく。最後にアメリカ向輸出ができたのは最高ですねー。米国のW氏・B氏にも感謝!あっ、まだ直接の報告を入れていないなあ。


7日は和歌山の重要顧客向のビジネスを広げた戦友の皆さんとでした。私はこの部隊では最年少なのでみなさん年上なのですが、あっしのことをサポートしてくれた大切なチームです。営業の私は理想を語り、非化学的な考え方でモノを語り、混乱と飛躍をつくってきたのでした。そう、つまり絶対に一人では無理!このユーザー、みんないい人!少なくとも私にとっては。自由な雰囲気でお話をさせていただき、自由な発想を仕事にぶつけさせて頂きました。大学の入試論文にもこのユーザーとのストーリーをお話を使わせて頂きました。というのも、ある程度のビジネスを作るのも水面下ではたーいへんだったので…。一生の思い出ですね。


8日。東京で前の部署の関連で飲みをしました。前の部署は基礎化学品の部署だったので、同業他社と定期修理や苦しい時・困った時に商品を貸しあうSWAPという取引がありました。10年くらい前は各社の担当が、彼らの懐を持って理念を持って貸し借りをしていました。商社さんも在庫を持っているところはこの取引の仲間に入っていました。会社の云々もありますが、当時は個人の信用で取引していたことも多かったのです。その仲間(みんな違う部署にいっちゃたが)達の一部とのみに行ったら…、2時までお付き合い頂きました。このグループ、捨て身で飲みます。焼酎で8合/人、その後、店をかえて白ワインを1.5本/人。この日は飲みすぎですね。次の日は若干、胃が荒れていました。


9日は東京の若手メンバーが壮行会をしてくれました。私は5年目7月に異動したのですが、その年の4月に新入社員で来られた女性から、入社すぐに私がレクチャーしたことを聞きました。いまでもノートを持っているとか…。恥ずかしい!
二次会はカラオケでした。私、うるさいんです、声がでかくて…。下手ですが、普通の男よりは声が高いので昔はバンドで歌っていました。会社に入ってからカラオケでQueenを歌っていたのを覚えてくれていたのか、気合を入れてボヘミアン ラプソディー。最後にみんなでWe are the champion。最近は録音できるカラオケがあるらしく、CDにとっていましたねー。後から聞くのがおぞましい…。でも最高の思い出です!!


まだまだ、続きますがみなさんと一緒の時間。心に刻みたいと思います。


墓参り(岩手水沢)

会社生活も残すところ一ヶ月余りとなり、つまり日本にいるのも一ヶ月ちょっとということでいろんなことが一度にやってくる感じがする。Toefl・GMATがないので時間は回っているが睡眠時間が3-4.5時間の日々が続く。送別会(壮行会)等、皆さんに開いて頂き、本当に感謝感激である。同期の姫路・吹田(2回も!)・大阪本社組は6/12.その他、お客さんや大阪の仲間。もちろん、送りだす側ということで一足先に留学に行かれたH氏(フランスのInseadに行くのにSummerはアメリカという不思議なパターン)の壮行会にもこの1年、ともに戦った仲間が顔を合わせる貴重な時間なのだ(しかもその後にものみに行くし…)。この辺は遡ってレポートします。


で、今日は墓参りに大阪から東北に来ています。
私は千葉県出身ですが、4年前から大阪に来ており、6月末までは一応在阪なのです。私の家族構成を手短に紹介します。私は現在、高野姓ですが、元は鈴木を名乗っておりました。まあ父方が鈴木さんということですが、母方の家に跡継ぎなおらず、私には兄がいた為、兄が鈴木家、弟の私が高野家を継いだのでした。鈴木家は東京に墓があり、高野家は東北岩手に墓があります。跡継ぎのいない墓は無縁仏といわれ、墓が継承されなくなるために私が家を継ぐことになりました。もちろん、浪人明けの大学一年生のときにこのオペレーションがなされたのですが、祖父・祖母に「自分の嫁となる人が”養子しかとれない”といわれたら、高野姓は諦める可能性がある!」と言い、これは了承した上で、姓を変えたのでした。が、未だにそのような必要が出てこないのですが…。
ということで、今日は大阪から仙台経由で水沢に上がっていきます。今、仙台駅で40分も電車待ちさせられているので、仕方なくブログ作成です。今日は仙台・東北地域は一日中雨のようです。水沢に着いたら駅前にメープルというスーパー(元ジャス)があり、そこにいる親戚を訪ねていきます。今晩はご厄介になるわけですが、それ以前に自分の家の墓の場所がわからないので連れて行ってもらうことになります。何せ、超田舎の山奥にあるため素人ではちょっとわかりません。

私の目的は墓もそうですが、親戚のみなさんとお話し、自分の見聞を広げるのも大きな目的なので、今日は自分の経過報告と合わせて楽しめそうです。とりあえず、電車が動きそうです。
ではまた。


 


 


 


日本特急旅行ゲーム
立つ鳥後を濁さず、となれば素晴らしいが、全てが上手くいくことはありえない。とはいうものの、自分の後任となってくれた方(私よりも20歳位上の大先輩)に不要なトラブル等は引き継ぎたくないものである。最近はこの辺を必死になって片付けようとしているである。


私は石油化学メーカーで営業をしており、今は高機能化学品(と自分たちでいっているが)を販売・拡販するべく、ユーザーの研究所にサンプルワークを行い、はたまた購買部門や会社ぐるみで拡販を画策したりという仕事をしている。購買部門等の多くは大阪、東京にあるが研究所は地方にあることが多く、必然的に出張が多くなる。見通しの明るい話をしにいく時は自然と足取りが軽くなるものだが、クレーム・トラブル・その他イザコザとなると面倒くささが100倍になるものだ。反面、悪いことは早めに動いて片付ける方が得策になりやすい。


昨日は元々、和歌山県御坊の某重要顧客の研究部門にアポイントを入れており、単純な引継ぎのみならずテーマの整理と進捗の確認を行う大切なミーティングでもあった。ところが、別件で開発していた商品で問題が発生していた。改良サンプルが思いっきり遅くなっているのである。これはいろんな理由があるだが、ともかく弊社ではこれ以上は対応できない事情になってしまったのである。納期を引っ張っておきながら最後に「できません。」と言わざるを得ない最悪の状況だったが、このような時こそ早く動く必要がある。


が、この事実が分かったのは24日の夜7時くらい。ダメ元で顧客に電話をかけると、遅くまで働いていらっしゃる(そりゃー、我々の遅れで問題になっているんじゃないかい?)。ということで、「明日の朝一にお時間頂けませんか?」と聞くと訝しげながらもOKをくれた。この時点で良くない出来事発覚!のニュアンスは伝えた。が、この客は東京下町にあるのであーる。


つまり、AM6:00新大阪発のぞみで東京入。顧客には9:00丁度に到着。ミーティングを25分で終了し、9:30出発。10:20の新幹線で再び新大阪へ(12:53着)で13:04だったかの特急で御坊へ。客に15:00に入り、ミーティング→16:20に出発シ19:00淀屋橋。その後、(会社の方ですが)飲みという…、何というか。


昔、日本特急旅行ゲームというボードゲームがあったが、そんな気分。

ちなみに、前日も岐阜を往復後にお客さんが送別会をしてくれて帰宅時間が1:00くらいだったような。もう暫く、こんな生活続きそうです。

関西アプリカンツの会
MBAというトラの穴にチャレンジしようという人には様々な理由があると思う。関西のMBA志望者は骨があるというか、機が熟してからのチャレンジをする人が多いようである


関東の某P塾にて受験準備をされたCandidateの方が、私のVisitの時に「同時期に勉強を始めた仲間の2割程度しか受験に漕ぎ着けなかった。」と仰っていました。情報の多い東京ではとりあえず覗いてみて、必要か不要かを判断されるケースが多いと思います。不要という判断はもちろん正当であり、きちんと判別された方も多いと思います。


一方、関西は情報が少ないということもあるかと思いますが、チャレンジする時にはかなりの覚悟をされている方が多く、同僚の多くは受験をし、成功していきました。MBA志望者の中では、私の学力レベルは非常に低く(ここは別途記述します)とてもその年は受験できるレベルにありませんでした。従って、長いこと勉強していたのでMBA志望者の縦のつながりをつくることに役立ってしまった…、という感じでしょうか。ともあれ、おかげさまで関西アプリカンツの会2006というメーリングリストの管理人を前任の方々より引継ぎ、もう少しで任期満了になろうという時期になっています。


めちゃめちゃ個人的はイメージですが、(ざっくり私の見る限りで)関西MBA志望者の半分は企業派遣のかた、1/4は自営業の方。で、残りの1/4は私のように会社を退職し、私費でいこうというタイプ、かな?と考えています。

企業派遣もNTTと松下が多いですねー。さすが、進んでいる会社は違うのか。それとも人事部の評価Upのためにやっているのか、企業イメージ向上のためか??もちろん、不明ですが、でも制度があって各個人のモチベーションが上がるのは素晴らしいことだと思いますね。弊社はそうではなかったわけですが、これも別途、書こうと思います。


これは関西アプリカンツの会のブログではありませんが、熱い関西人をこれからも応援していきます。


ついでですので関西アプリカンツの会について少し書きます。この会、実は関東・中部の方も多くいらっしゃいます。MBA関連のいくつかの会は組織が大きかったり、MBAにからむステージの違いでいろんな情報が混じっているのでは…。これから難しい受験勉強に立ち向かおうとする志願者の卵にはMBAの授業の話や卒業後のネットワークの話は、憧れではあるが実益は少なく、かつ気後れしてしまう部分があります。関西アプリカンツの会はアプリカンツの持つ質問・悩みおよび受験情報の共有化が目的です。Visitの時もメーリングリスト上で知っている方がいるだけで大分と違いが出てくるのです。そして、もうひとつ。契機付けというか気合を継続するために、エネルギー充填の会(まあ飲み会です)があります。関西アプリカンツの会は“顔の見えるML(メーリングリスト)”であることを特徴としています。ですので、悪気のある無責任な発言等がないアットホームはMLになっています。御興味のある方、幹事を紹介しますのでご連絡ください。
Why MBA
Why MBAWhy Colorado

 

MBA志望者が必ず通らねばならない道。

Essayの作成作業です。日本でエッセーというと随筆(思うがままに書いた文章)←とか勝手に教えられていますが、ここでのEssayはちょっと趣が違います。学校~質問が出され、それに回答をする論文のイメージの方が近いと思います。ただし、長さやルール、質問はいろいろあります。いろいろある質問のうち、Why MBAWhy Colorado(←大学の名前が入ります)というのは必ず出されます。どうして、貴方はMBAなんていう大変なところに来ちゃってまで勉強なんかしちゃおうとかしているの?多くの学校があるなかで、どうしてうちなの

かね?というこの質問。文型の就職活動のときみたいですね。正解は無い質問ですが、将来のVisionがはっきりしている(と考えられる)生徒を取りたいということがひとつあると思います。

私は2つの考えが人生の方向性を決めたと言えます。

?      幼児期に祖父母の家に預けられて育った時に、日々、「おじいさんの子供のころはね…。」「おばあさんの子供のころはね…。」と聞かされて育ち、(幼稚園生の時に)「自分はどうやって孫に人生を語るのであろうか。」→「自分が誇れる人生を語れるようになりたい」と考えたこと。※もちろん、もっとイメージ的にこんなことを考えていたということです。

?      高校生の時に、「戦後日本の廃墟と現状の日本の発展を比較し、“誰がどうやってこんな発展をつくったのか?”、“自分はこの発展を作れるのであろうか?”と考えたこと。

 

後者の考えは今でも続いているのですが、大学でも(お遊び程度ですが)開発経済のようなことを勉強していました(ペレストロイカ後の中央アジア諸国)。経済発展は一部の富裕層の富が増えてGDPが上がるのではなく、一般市民の生活レベルが上がって近代的な生活を多くの人がEnjoyできるということではないか、と考えたのでした。手にとってわかる生活レベルの向上には工業の発展が必須と考え、(商社をいっぱい受けていましたが)重工業か化学工業に携わりたいという思いがあって、メーカーに就職したのでした。

 

ここではじめの5年間はバルク商品といわれる数量が大きく、汎用化した化学品を扱っていました。ペットボトルやポリエステル繊維の原料でしたが、これらの基礎化学品は産油国や新興国の作る近代的な設備に太刀打ちできず、国際的負け商品となっております。

とはいえ、世界のマーケット(需給バランス)の動きをみながら商売を行うこと。汎用商品とはどういうものかがわかったのは非常に大きな収穫でした。

後半の4年間はファインと呼んでいましたが、要は、少量ではあるが高機能で高付加価値な商品のことです。塗料用の樹脂や最近ではフィルムのコート剤を扱っていました(このあたりのエピソードもどこかで記述します)。

世界に良いものを広く提供するというのが私のテーマでもあり、会社としても自分たちの開発した良品が世界的に使われることは誇りであるわけです。ところが、サンプルワークからはじまった高機能品を拡販し、世界の一角を担うレベルに持っていくのは多くの困難があります。持論ではこの困難を自分の思っているレベルで解決する力というのは一般的な日本のメーカーで営業経験を重ねるだけでは厳しいと考えました。

自分は他業界の方とのお付き合いの機会が多く、そのためか比較的多くのアイディアが浮かんでくるという特徴があります。前提条件をとっぱらって本当にいいと思う方法を実行するにはどうしたらよいのであろうか。社内の暗黙の了解とか承認の受け易さとかを取っ払って、Bestな方法がないのであろうか。

いろいろと思案し実行すると自分が理想を追求できる限界をすぐに感じる。この要素を乗り越えるためにビジネス全体を一度勉強することが必要である(総論ってVisionですので)。こう考えたのがきっかけでした。

 



プロフィール

Keigo

Author:Keigo
千葉県出身37才男:千葉南高校・明治大学卒業後、石油化学メーカーに9年間勤務。
2006年7月より私費にてコロラド大学MBAに留学。
良い製品を世界に広げられるメーカーをつくるべく、MBAを志望。エリートらしさのかけらもないMBA学生生活とその後を発信。
帰国後は外資系化学メーカー勤務。でも、やっぱりエリートらしくない…。



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